these foolish things

Prejudice and Fiction

短文の解放。



・大学生活4年間を12㎡の大学寮で過ごした。下見もせずに「2万円だから」という理由だけで決めてしまったわけだが、入寮初日あまりの狭さに爆笑してしまった記憶がある。独房・高給カプセルホテルなど様々な比喩が浮かぶが、本当に狭かった。

こんなとこさっさと出て下界(寮は山の上にある)に移り住もうと事ある毎に考えたが、少なくとも2倍以上の家賃が必要であることから親に却下された。まあそりゃそうだ、2万円だもの。沼である。同情する。ただでさえ妹が私大なので家計逼迫なのは重々承知している。

その結果だらだらと大学生活は過ぎて行き、入寮期限最終日である卒業式当日まで居座ってしまった。引っ越しの荷物を業者に渡し、スッカラカンになって広くなったはずの部屋を見て思った。狭いナ。やはり本当に狭かった。

 

 

 

 

・4月から社会人になるということで、その寮を出る。全国転勤職にしてはラッキーなことに希望していた三宮に配属が決まった。そこで、2年目までは学生の街六甲に住むことを決めた。というよりは、3月に配属発表された時点で条件の揃ったステキハウスがほぼ2択だったので良い方にした、というだけだ。

にしても、社宅選定の過程でさっそく大企業すげえとなった。

 

 

就活をする上で「軸」なるものが大切だとか言われていたが、僕は優柔不断なのでそれが最後まで決まらなかった。何が大事か、なんて就活のための自己分析でハッキリしなかった。グラデーションはグラデーションのままだ。白黒ハッキリつくほど簡単な性格ではない。

こんな意気地のない性格でベンチャー企業に勤めようという気はしなかったし、平凡は平凡なりに社畜になれば良い、古代ローマ市民になりたいと割りきった。

そうなってくると、この時代の過剰なまでのコンプラ意識に敏感に反応する企業であれば社畜感を味わう必要もなくなってくるのかな、とか思ってガッチガチの規制産業に身を投げる決断をした。

 

そして業界を決めた後は、会社選び。

第六感に加えて、白黒ハッキリしている待遇と福利厚生を大切にした。日本社会に生きていて福利厚生の手厚い会社を選ばない手はない。

 

そして選考は進む。

悔しくも最も憧れた福利厚生制度がある会社には切られてしまったが、まあなんだかんだグレートな福利厚生制度のある会社に入社をすることになった。

というか結局2社からしか内定は貰えず、本当に悩ましい2択を迫られたわけで、あのときに福利厚生制度なんて考える余裕はなかった。がしかし、今のところ福利厚生には大満足の結果なので、とりあえずあのときの自分グッジョブって感じだ。

 

 

長くなったが、どうすごいかと言うと、会社指定の寮が東京にしかないため、他府県ならアパマンショップ行ってこい!家賃は3割負担でいいよ!っていう感じ。えげつない。住居の自由が認められているわけで、しかも安い。

ちなみに第一志望だった企業は2割負担でよかった。惜しいな。

 

その他、家賃だけでなく敷金礼金みたいな初期費用も、繁忙期なら数十万する引っ越し代も全額負担、入居日と退去日のタイムラグがあれば宿の提供もあるし、なんだか本当に凄い。想像以上だった。

 

 

 

・研修は12日間。もうじき終わる。

友達を作ろうと思って作ることが非常に苦手な僕。かといって、それを克服しようという気が無いのが僕らしいところだと思う。斜に構えすぎだ。そんなの自分が一番わかっている。

 

友達は勝手にできるものだと割り切っているからこそ、関西採用組に気の合う同期が居なくても想定内としていられた。

 

 

そして研修開始。ビンゴである。

目の色が似た同期が全国から集まってきていて、ランダムで寄せられた班員にものすごく恵まれた。

「類は友を呼ぶ」という諺があるが、そこにはひとつの条件があるのだ。それは「待つ」ことだ。

 

 

 

 

 

・他社比ではあるが、弊社の研修はユルユルだ。挨拶をキッチリして筆記テストを乗り越えさえすれば、あとは各自の良心に任されている。

うるさくて注意を受けるような人間も中にはいるが、そういうのは良い歳してどうしようもない人間なので放っておくしかない。君子になりたいので危うきに近寄りたくねえ。

 

良心に任されていて居心地が良いので、もしかすると僕は会社選びに成功したんじゃないかな、とか思って嬉しくなってしまう。

そういうことは10年20年勤める内にじわじわわかってくるものなのだろうが、ちょっと明らかに良い環境なのでびっくりしている。人を人として見るオトナがちゃんと揃っていて、僕は本当に嬉しい。大企業なのにすごい。まあ逆に闇が見えたときが怖いんやけど。

 

ということで、どうしようもない不幸に陥った人に手を差し伸べて、それで自分も人のために泣けるよう、「優しい」人になりたい。生きるって大変だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成の改宗

 

私は無神教だ。

私の親も無神教だ。

Appleを神だとしないのであれば。

 

 

 

 

 

「apple imac 初代」の画像検索結果

今こうして画像を引っ張ってくると90年代のデザインであることに驚く。最近ではバックトゥザ90sの流れの中で、700fillというブランドがこのiMacに目をつけてTシャツのデザインに落とし込んでいる。ステキだ。

父親がこの初代iMacを家に持ち帰ってきたとき、おそらく私は幼稚園生だった。

 

振り返ると、家庭にWindowsのパソコンが置かれた試しはなかったし、その所為かうまくWindowsを触れない。画面左下からシャットダウンの文化に未だ違和感を覚えるのだ。

よく父に尋ねていたのが「なんでWindowsじゃないの?」という素朴な疑問。その問いに対して、父はいつも「第一にMacの方がフォントがかっこいい」と答えていた。そして「確かにな」と納得する度に「Appleの方が良い」という好みが自分の内側から来るものとなっていった。

 

 

 

 

iPodにまつわる思い出も深い。

僕とポータブルミュージックプレイヤーの出会いは、友達がウォークマンコブクロの『ここにしか咲かない花』を聞いていて、「なんやそのドープな曲は!!!あとなんやその機械!!!!ヒネったら次の曲かい!!!」となった夏だった。今調べてみたが、2005年発表の曲らしい。懐かしい。

たしかにその時期、自宅でも親が初代iPod Shuffleを使っていた。しかし全く羨ましく感じなかった。ABBAとかTOTOとか聴いてる親の趣味が全く理解出来なかったからだ。

 

けど、友達がナウい曲を持ち歩いていて、なんやあの機械そんな可能性持ってるんかーいとなった途端、自転車で片道15分のCDレンタルショップへ向かっていた。

 

そして親のiPod Shuffleコブクロの『ここにしか咲かない花』を取り込んだ。あれが初めてだったなあ。本当に懐かしい。縦長で真っ白、液晶画面など付いていないiPod Shuffleはあくまで親のものだったから、なかなか僕の取り込んだ曲が出てこない。シャッフル機能をオフにして頭の中で曲の並び順を完全に暗記していたのが懐かしい。だからABBAとかすんごいウザかった。もうすごい懐かしい。

 

そして時が過ぎ、Apple教徒の父親は初代iPod nanoを手に入れた。裏面が銀ピカで表面が黒ガラス。円に沿って指を動かすだけでカーソルが動く。ハンパなかった。

と同時に、お下がりとしてiPod Shuffleが与えられた。それでようやく自分の曲だけが入ったiPodを手に入れたわけだ。シングルCD1枚レンタル80円のためにおこづかいをどう使うかがあの頃の大きなミッションだった。レンタル開始日早朝にレンタルショップに行っても、先客に借りられていた切ない思い出とかがもう溢れてくる。ポカリのCMで聴いた『ハネウマライダー』とかハンパなかったもんなあ。あの頃だなあ。事変の『修羅場』もなんかいいなあって思って借りて聞いてたけど、まさか中高でドハマりするとは思ってなかったやろうなあ。懐かしい。そんな感じでレンタルCD屋とiPod shuffleに彩られた小学校高学年だった。

 

ほいでほいで時は過ぎ、赤いiPod nanoをお年玉で買ったり、その数年後にはiPod Touchも買った。おばあちゃん家にあったクラシックとかフュージョン、ジャズも聴き漁ったなあ。iPod Shuffle使っていた頃はウザがっていた父親の趣味の曲も普通に好きになっていった。TOTOとかもう今じゃ最高。

 

スマホを周りが持ち始めても、僕はガラケーWi-Fi環境下でしか機能が発揮されないiPod Touchとで過ごした。考えてみれば浪人期までその組み合わせだった。

そんで、大学入試を終えた2015年2月25日にiPhoneを買いに行った。初めてのスマホだ。

 

 

今思えば、なんだかんだで親の影響を受けてAppleにどっぷり浸かっていた青春時代だった。そこに選択肢はなかった。パソコンも音楽再生機もスマホもすべてApple製品だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな僕が、iPhone Xの価格設定にドン引きして、HUAWEI製の100円Android端末に機種変更したのは2019年1月のことだ。

 

嘘みたいに良い。平成の改宗だ。

考えてみればAppleは所与のものだっただけで、自分のこだわりが反映されていたわけではなかったんだな。

生まれながらに宗教が決まっている人達も、え!豚食えるん!んでウマ!ってなったりするんかもな。衝撃やと思うわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実体を求めて。

 

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岩井 そう、あいつには実体がないんです。たとえば、澤部は洋楽が好きで、俺はスピッツが好きです。俺は「なんで好きなの?」って聞かれた時に、「ボーカルの草野マサムネさんの声が良くて、歌詞が押し付けがましくなくて、ライブで音源からの再現性が高くて、ベースの田村(明浩)さんが暴れるのもよくて……」といろいろ挙げられるけど、澤部が「なんで洋楽が好きなの?」と質問された時に「かっこいい」以外の答えを返しているのを聞いたことがない。つまり、自分の中に説明できるような理由がないんですよ。洋楽に限らずすべてのことに対して、人が「良い」と言っているものをそのまま「良い」と思っているだけで、あいつ自身なんてどこにもいない。つまり実体が「無」なんです。

ハライチの岩井が相方澤部を分析していて、「澤部の面白さは彼自身が『無』であることに依る」と言い切っている。コラムの全文は上のリンクから飛べるので、また自分自身も読み直そうと思う。

 

このコラムの良さは、普段感じているはずなのになかなか言葉で表せていないことが、斜に構えた岩井の口から述べられている点にあると思う。読後には痒みがおさまった感覚と、なんだか少し悔しい気分を得た。なんでこんな言葉が出てくるんだ、と。僕だって思ってるのに、と。だから最近ずっと脳裏にこのコラムがチラついていた。

 

 

 

 

 

 

んで、こないだ友人の卒論の関係で自分の好きなものについて語る機会があった。この時代になぜアナログ的要素を含むものが流行るのかを定性的に知りたかったそうで、僕も何について語れば良いか分からなかったが苦し紛れに「写ルンです」を使っていた理由を述べた。めんどくさくて3つ目を使い果たして以来買っていないが。

 

確かになんだかステキな写真は撮れるけど、なんであんなめんどっちいもの使うんだろうね。一手間かけてる自分に酔いたいからかな。んでインスタに自分の居場所を求めるからかな。少なくとも自分の内側からこみ上げてくるような「好きの理由」なんて無いな。

 

といった内容のことをダラダラ答えた。友人に伝わったのかはいざ知らず...

が、その時自分の脳裏には岩井のコラムがチラつき、読みながら嘲笑っていたはずの「澤部」の気配を自分の中に感じていた。

 

 

 

 

 

確かに、好きなものなんていくらだってある。でも、好きなものを好きと言えるだけの理由が自分の中にあるのか、そう問うてみると恐怖を覚えるほどに何もない。

 

好きの理由が自分の中にあるものすなわち「澤部」ではないもの、ペトロールズとかソイルを中心とした音楽のこと、ごはん、服、靴、物書き、そんなもんしかない。しかも、「なんで?」ってTOYOTAに5回問われようもんなら口ごもり兼ねない。紛れもない恐怖である。

 

 

 

 

 

ただ、恐縮ながらこれは僕に限った話ではないようにも思う。

 

なぜこんなことになるのだろうか。

理由は、第三者を感じてしまうからだと思う。

 

他人の「いいね」を疑うことなく、自分も無意識に「いいね」と信じてしまう。

他人が「いいね」と思ってくれるから、自分をその「いいね」に寄せる。

 

気付かぬうちに自分が失われていくし、本来好きだったはずの好きなものに内側からこみ上げてくるような理由を見い出せなくなる。そしてついには第三者に作られた自分の化身が完成し、その化身と目が合うと本当の自分は砂となりサラサラサラサラ... ハムナプトラである。

 

 

 

 

 

 

恐怖である。

そこで、この恐怖体験をきっかけに本当に自分が好きなものについて考えてみた。

その中の一つが、革靴である。

 

 

 

 

1年ほど前にパラブーツのシャンボードを中古で買い、

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安い割にマジで耐久性あるKLEMANのスリッポンを買い

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半年前にジャランのストレートチップを買い

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最近はトムブラウンのフルブローグ(サンダースOEM)とか

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NEPENTHES別注のTricker'sとか(これがもうありえんかっこいい)

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が欲しいけど手を出せるような価格でもなく、中古市場でも小さな小さなマイサイズに出会える確率も低く、つらいつらい思いをしていた時に、現在トムブラウンのOEMを請け負ってるサンダース製のフルブローグが格安で中古市場に飛び込んできて即購入をキメたわけである。本当に到着が楽しみだ。

 

あーでもTricker'sも欲しい。阪急三宮高架下のタイガースブラザーズというお店には、上のネペンテス別注と酷似したTricker's別注モデルがあって(店員さん曰く、まあモチーフにしましたよねとのこと)欲しくて欲しくてたまらなくて大興奮していたのにマイサイズが完売していてもうつらいつらいのである。Tricker'sは足に馴染むまで半年はかかるくらいに革が硬く質実剛健な作りで、それを履き慣らしていく楽しみとかもあるんだろうけどあまりに硬く靴ズレに自分が耐えられるわけないもんねプンとこちらからお断りさせていただく体を取らないともうつらいつらいのである。数年後に本家のネペンテス別注が買えたらいいなと思う。

 

 

革靴を履くようになってまだ1年ちょっとで、なんなら新品で買えた試しすらないのに、靴を育てるのは本当に良い。だってさ...云々(以下略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にもまだ「澤部」じゃない部分が残っていて少し安心した。

きっとそこが自分の内側を支えてくれる部分だと思う。自分の実体は自分の外側ではなく内側にある。こんな当たり前のことを忘れかけてしまうのが自分の生きる現代なのだから、なおさら「止まれ見よ」という言葉を深く心に刻まねばならない。

 

そして、こうやって物を書くことが自分にとっての一番の処方箋かもしれないな、としみじみ思う。

 

「以下略」なんかじゃなくて、革靴の良さをちゃんと整理しよう。

 

立つ鳥跡を濁して自分で拭く

 

 

今年度をもちまして、某予備校で3年間続けたチューター業務から退きます。来年度は希望が叶えばの話ですが、スタッフ業務をする予定です。諸行は無常〜沙羅双樹おいち〜

 

理由は2つあります。

①はじめの3ヶ月はちょっと無理そうなので。

②残りの9ヶ月もちょっと無理そうなので。

 

来年度もチューターするぞ〜と勢いで思ってはいましたが、継続のための英語のテストを受けている途中に、我に返ってしまったのです。地球の極から氷山を運んできて世界の水需要を解決しよやムズイけど〜、って英文を読んでいる真っ最中でした。近未来すぎる。

 

なんだかんだチューター生活は思い出深いです。高校生の頃からずっとやってみたかったチューターですが、採用通知を受けたのは、浪人を経て京大の敷地内で二木くんと燻製を作って食べていた時です。燻製の美味さも相まって、電話越しに大喜びしたのを覚えています。私はパブロフの犬なので、今でも燻製を食べると大喜びしてしまいます。

 

 

 

 

ここで、恐縮ながら私のチューターとしての基本スタンスを述べておきます。

私が現在通っている大学は、チューターの提案に依るものです。具体的には、第一志望しか見ていない、それでいて学力的に危うい、という半ば三菱零戦な私に嫌味なく新たな選択肢を提案してくれたんですね。そんな自分の経験からも、セカンドベストを嫌味なく提案する瞬間がチューターの腕の見せ所だ、と役割意識を感じていました。

 

誰だって第一志望は「譲れない」という建前で勉強していますが、実際のところ「譲り合い」なわけで、チューターも別に夢を見させることが指導なわけではないんですね。しかも、思春期は「夢」とか「挑戦」とかいう言葉に違和感を覚える始める時期です。だから、志半ばで第一志望を諦めたそういう層を救えるちょっとした理解者になれたらな、という思いが常にあったように思えます。

 

そもそも、「これをしたい絶対これで生きていく!」と思える学問分野や夢があって大学進学する(インサイドアウト)人はほんの一握りだと思います。そういう人は本当に尊敬できます。でも、何がしたいかわからんから大学入って決めよ(アウトサイドイン)っていう人が大多数ではないでしょうか。さらに言えば、何がしたいかわからんなりにおもろそうなゼミ入っておもろい研究したけどこれが果たして自分の関心事だったのかな〜と思う人だらけだと思います。結論、大学に夢など無い。

だから、学歴にうるさい日本では学歴を求めたらいいけれど、何もしたい事が無いという人にとっては潰しの効く学部に進学する事が得策な気がします、月並みではありますが。

 

私は教育する側としてあまりに冷めていると自覚していますが、塾内には熱いチューターだって涙を流してくれるチューターだっています。いろんなチューターと関わりを持てる環境が魅力だと思ってくださいお願いします。

 

 

でも。

そんな冷めた私にも、ちゃんと仕事できたなって思えた仕事が幾つかあります。

 

 

⑴「F島さんの言葉がなかったらこの学部受けてなかったんですよウチの子」

生徒の進学大学・学部が決まった後、電話を通じて親御さんに言われた言葉です。不意だったので感動してしまってジーンとなったのを覚えています。生徒自身が地道に頑張っただけなのに、感謝してもらえたのは素直に嬉しかったんですねえ。

その生徒は11月に国公立受験を諦めて、私大一本に絞ったものの受かるかどうかギリギリのラインでした。とりあえずAランクは死守したいとのことで、学部はできれば商学部とのことでした。

「Bランクも受けてみて受かってから蹴るかどうか考えたらいいよ〜、商学部にこだわりなかったら経済学部とか政策学部とか似たようなことできるよ〜、とりあえず学部ごとの最低点過去5年分見てみよっか〜、学部こだわりなければ最低点一番低いとこに保険かけてみよ〜、入学金振込〆切は親御さんと議論してね〜破産するよ〜」

とまあ普通ですよね、指導としては。まとめたデータでいろんな選択肢を示してちょっとやる気感じてもらうっていうそれだけ。

 

そして合否当日、期待以上に点が取れたらしくAランクの経済学部に進学する事が決まりました。経済学部の説明を経営学部生なりに長々と説明したのが良かったのか、A'ランクの商学部を蹴る決断ができたそうです。同じような勉強できるかなって思ったのかな〜。変に人生動かしてしまったかもしれません、、、すみません。でもよかった!

 

 

 

⑵「いやあ受かったりましたわあざした」

2次が英語だけという生徒。私大は受けない。つまり、浪人をすると1年センター対策と英語だけ。デッドオアアライブすぎる。

なのにもかかわらず、夏が過ぎても勉強に熱が入らないということで、どうしたものかと思ってました。とりあえず浪人はやめとけとたしなめて、最低点とセンター得点分布表を眺めてもらいました。そしたらば、もう1年英語ばかり勉強し続ける沼具合と、あとちょっと頑張ったらセンターでリードできるという事実を理解したのか、なんだかやる気が出てしまったそうです。

結果、そのまま余裕で合格しちゃってなんやこいつすげえな、ってなりました。

 

 

 

生徒の数だけ物語があるとかいう言葉は気持ち悪いですがあながち間違ってはいないですし、僕もその中にモブキャラとして参加できていることに少し嬉しさを感じます。

 

 

 

 

 

以上、チューターの生徒指導にまつわる思い出話でした。またいつか同じようなことを記録として残したいなと思います。

 

払った犠牲を競うの止めよう

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タイトルは、東京事変の解散に先立って奏でられた『三十二歳の別れ』の歌詞の一部です。ちなみに次に繋がる言葉は、「情けなくなる」。

 

「不幸自慢なんて止そうよ」、そうやってリバーブの効いた音で言われたら、文字通り心身に響いてしまいませんか。しまいますよね。ほい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸自慢します。

 

もう治りましたが、

先週1週間、左耳が聞こえなくなりました。

 

 

 

基本、暇なんですね僕。授業中もAirDropで赤の他人に画像送信してゲラゲラ笑ってるくらい暇なんですよね。野性爆弾の画像を送ると必ずどこかから笑い声が聞こえるので本当に楽しいです。生業にしたい。

 

そんな僕に、1週間まとまった予定がドーンと舞い降りたんです。決してダルい予定ではなく、かなり楽しい予定だったんですけど。実際に楽しく1週間が過ぎ、体力がどうとか全然気にならなかったんですよね。ゾーンに入ってたわけです。けど、実は疲れてたみたいでして。

 

そうして楽しい1週間が過ぎ、アラーム(宇多田ヒカルのAUTOMATIC:すなわち最初のスクラッチ音で目を覚まし、「7回目のベルで受話器を取った君」の「な」で切りますよね、唇から自然にメロディこぼれ落ちません)で目を覚ましたところですね、左耳がもう3割くらいしか聞こえないわけです。

 

こんなの初めて!ってなりまして、まあ人生の詰みまで想像してしまいました。このまま音のない世界で生きていくのかしら?音楽好きなのにヤベくね?参った参った。

「左耳 聞こえない」とGOOGLE先生に尋ねても、「突発性難聴 回復率30%」と言われもう辛いのなんの。ヘラヘラ笑うことでしか体裁を保てませんでしたよね。笑う門には福来るのかな、みたいな微かな希望を携えて。

 

 

そうして片耳で三品さんの授業だけは聞いて、病院に駆け込みました。

聴力検査ということで、いかついヘッドホンから骨伝導ヘッドホンまで使って、己の耳のバグを調べてもらったところ、まあ堂本剛くんが見舞われた「突発性難聴」ほどではないけど「難聴」ですよね経過見ましょうリッスントゥマイハート ルッキンフォーユアドリーム。病名がわかることで安心するってよく考えてみたら滑稽ですが、まあお医者さんには治療の役割だけじゃなくて、不安を取り除く役割もあるんだな、なんてちょっと教科書みたいなこと考えたりして、1週間のスタートです。

 

 

 

薬づけの1週間でした。薬って自分で飲むのやめる判断しちゃダメなんですってね、処方された分を全部飲まなきゃなんですね。健康体で薬を飲む機会が無いので、薬リテラシーがあまりに欠如していました。

バイト先の社員にも事情を説明したら、私もなったことあるって人が意外にいて、救われた気分になりながらも救われてはなくて。けどやっぱり慣れの部分もあって、こういう聞こえ方でも生きていけるやん、くらいに開き直っていました。

 

 

そして薬が尽きてきた6日目の夜あたりから、治るんじゃねコレってくらいの期待が持てるような調子になり。

薬が尽きて、再度病院に行くと、聴力がまあまあ回復したデータを見ることができました。意外とあっけなかった。オチとしては全然面白くないけど、よかった。

 

 

 

不幸自慢は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやはり、不幸自慢を慢性的に垂れ流すのは美しくない。

情けなくなる。

 

 

 

 

finish

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所詮、人間

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 テスト前なので部屋を片付ける、この順接関係に違和感を覚えなくなって久しい。 この冒頭で書き始めるのも久しい。久々のブログ更新である。

 

タイトルはDaftPunkのHumanAfterAllを聴いていたからです。

 

 

 

とにかく早く綴りたいことがある。

早く言いたいのはRGだけじゃないのである。

早く綴りたいが、肩の力を抜いて、ここで一句。

 

 

 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
    雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

 

意訳

      痒くね?

 

 現代語訳

巡り逢ひて(これちょっと引っかかるなあ)
見しやそれとも(え こういうことちゃうん)
わかぬ間に(いやちゃいますやん)
雲隠れにし(じゃあわかんね)
夜半の月かな(夜半の月やな)

 

 

 

だいたいこんな感じです。

この一句、非常に趣深くないですか。

おまえ今の今まで秒単位で既読つけてたのになんやねん、10時34分と10時35分の間に何があってんもう23時52分やぞなんで既読つかへんねんもうひとりで明日ユニバ行くわ!!!くらいの痒さが伝わってきます。中世貴族も現代のLINE貴族と同じような痒さを経験していたと思うと感極まってしまいますね。ユニバひとりで行くのは可哀想すぎやろ。

 

 

 

もうちょっとあなたのことを識りたいのにめっちゃ夜半の月やん。

もうちょっと納得できる言葉あるはずやのにめっちゃ夜半の月やん。

もうちょっと押したいけど引かせるとかめっちゃ夜半の月やん。

 

 

このように生活の至る所に「夜半の月」はあるように思えます。いつも自分の中で納得いく形にまで落とし込めない、サムシングモヤモヤが。

 

 

 

 

そんなモヤモヤが、今現在、私には1つあります。その1つが、私の早く綴りたいことです。綴ることで何か納得できたらな、と思います。

 

 

では、今から綴るよ〜

 

 

 

 

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  1. コンプレックスの作用 

 結論から記すと、コンプレックスは人をダメにするね、っていうだけの話。

 夏休みくらいからコンプレックスの作用についてひとりで考えていました。そこで出た結論としては、コンプレックスがプラスに働く人というのは本当に限られているんじゃないか、ということ。例えばクリエイター気質の人。劣ることや欠けていることに対して自身が敏感だから、それだけの痛みが反映された繊細な表現ができる。だからプラス。

 

けれど自分に興味があったのは、そういうコンプレックスのプラス側面じゃなくてマイナス側面であって…。

 

 わかりやすい例を挙げると、自分の考えには学歴ロンダリングが当てはまる。

 ネームバリューある大学に入れなかったからネームバリューある大学院に進もう、っていう考え方そのものは上昇志向云々で一見すると美しいかもしれないけど、裏目的には'見返してやろう'とか'自分をより大きく見せてやろう'っていう意識があるはずじゃろう。仮に肩書き上のコンプレックスがクリアできたとしても、クリアするまでに考えて感じていた脳みその部分はデリートできないし、仮に優れた肩書きを得たとしても、やっぱりなんだか実が無いし、なにより当の本人が一番その違和感を分かっているはず。得た先の心の満足が長続きしない。

 

 コンプレックスをガソリンに、コンプレックスの肩書きを吹き飛ばす。貧しい。

 コンプレックスなんて生きてる限り誰にだってあるし、ほとんどのコンプレックスなんて無くせないけど、それをエンジンにして生きると芯から捻くれた人になってしまう気がします。どうコンプレックスを無視するかとか、どうコンプレックスをそのまま受け容れるかとか、そういう考え方の方が美しくないですか。置かれた場所で咲きなさい、と最近亡くなったシスターも説き続けていたくらいですから。

 

 

 負けず嫌い、という言葉がありますが、自分はこの言葉に違和感を覚えます。そもそも勝負した時点で負けだと思うからです。自分の勝負のスタート地点をどこに置くかは人に依りますが。人に負けるとそりゃ誰だって悔しいけれど、誰だって悔しい思いはしたくない。なら勝負をするべきではない。孫子だって負けるくらいなら逃げろと言ってます。

 

 だから、自分の土俵は自分で構えた方が心身ともに健全なんだなあ、と自戒の念も込めて綴っておこうと思いました。

 

 

 あと、「自慢」について付随的に一言。

 思うに自慢というのはコンプレックスと表裏一体なもので、自分が隠したいコンプレックスは自慢の内容を辿ることでモロバレしてしまいます。無修正です。

 

 何をガソリンに動くか、と考えた際に、「好きだから」「したいから」「楽しいから」「隣の人といたいから」etc...とジブリのヒロインばりに高純度なガソリンで動けることがいかに尊いことなのか身に染みて感じています。「金銭的欲求」「承認欲求」は賤しいように思えますが、それは仕方のないことと目を瞑っておきます。お金がなければ生きられないし、周りに人がいなければ寂しい。

 一方で、エンジンを動かすに当たって、人と比べてどうかという指標のガソリンが最も燃費が悪いと思います。いつまで経っても原付です。カブはすごいけど。

 

 地に足つけて、栄枯盛衰を受け止めて、もう少しちゃんとした考え方ができればな、とせちに願うテスト前でした。伊藤園は偉い...。

 

 

 

 

finish

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すべてを曝け出した私



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どういうわけか、昨年末からなにかとすべてを曝け出す社会現象が起きている。私はここで健康診断の結果を曝け出してしまったが、お気付きだろうか……

「「2年で約12kg増」」


少しばかりかデカくなってしまった私である。


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  • 長年の違和感

昔から私は本当にい。本当に私はくてい。母親からの遺伝もあって、身長に関しては割と恵まれているのだが、そのぶんタテヨコ比がイビツである。「パワポにコピペした画像を縦に伸ばした感じか!」て感じである。


しかしながら-正当化の一種だろうか-「細い」という点を「モデル体型」とか気味の良い言葉で解釈して、「キモい」という事実から逃げていた。 ここに自分の違和感があり、この違和感と共に思春期は過ぎていったのである。

53kg/177cmなんて誰がどう見てもキモいじゃないか!


  • 綺麗に着たい

男たるものYシャツをしっかり着こなしたいものである。今はまだ週2のアルバイトでしか着ないが、あと2年もしたらYシャツと同化するような生活を強いられるかもしれない。
そうなった時、果たしてしっかり着こなせるのか

そこで何をするにも腰が重い私、鍛えねばならんのおと思いました。



  • 環境の選択

鍛えねばならんのお」と現状を頭で理解しても、継続するためのやる気と言いますか、ある種の費用対効果と言いますか、ある種の限界効用逓減と言いますか、ある種の流通経済の闇と言いますか。私達は環境の子なので、どこに身を置くかで行動はおおよそ決まってしまう。すなわち最初が肝心!


鍛える⇒ジム行く」
この論理に縛られていたため、まずは採算の取れる近所のジムをブラッシュアップしていくことから始まった。しかしながら、調べれば調べるほど「サウナ施設完備!」とか「初回2ヶ月実質無料!」とかいうバイトが考えたようなくだらねえ宣伝文句に踊らされて、結局どうすればいいかわからなくなって爆発してしまった。

いったん爆発してみると、視界がクリア的なそんなふうな感じになって、近視眼っぷりに気付けた。



  • 外部環境-「ジム行かなくて良くね?」

私は9と4分の3番線に繋がる陸の孤島こと「住吉寮」に巣食っている。当寮には簡易的なジムが備わっていて、24/7利用可能である。誰がどう考えても税金の使い方としては間違っているが、隣国から飛んで来たミサイルを打ち返せるようになるまで私が鍛えればプラマイゼロである。

ノブレスオブリージュ! ということで、血税に込められた想いを胸に寮のジムで鍛えることにした。簡易的とは言えどちゃんと使えるし、何よりタダってだけで満足度爆上げである。

「お金払ってるからジム行かないと…」っていう罪悪感に耐え切れず辞めてしまうのも辛いし、何より「シャツをキレイに着たい」というモチベーションが「カネ」ゆえにブレるのは良くない。



  • 内部環境-「食べても肥えない?」

鍛えるための外部環境はまあ整った。
しかし、「筋肉増量には食事が大きく関わっている〜」という歌詞の民謡もあるくらいだから、筋肉増量には食事が大きく関わっているのである。

ここで、昔からめちゃよく食べるのに全然肥えない私はどうしたものかと考えていると、「めちゃよく食べる」というのは感覚的で、客観的にはそんな食べていないのかもしれない、そんな疑問が生じた。そんなこんなで死ぬほど眉唾モンだったが、とりあえず栄養素計算をして「見える化」してみた。

すると、栄養素計算のために食生活を変えるというバカ丸出しながらも効果バツグンな心理ベクトルが生まれた。それまでほぼ100%外食だった食生活がガラッと自炊生活に変わって、増量のための高タンパク高カロリーを達成すべく鶏胸肉を毎日摂取するようになった。ゲーム感覚ってのが良いんだな。

バカなので、海外からプロテインサプリメントなんかも輸入しちゃって、適量を日々摂取するようになった。



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  • 開始から2ヶ月

トレーニング開始は2/22/2017だったが、およそ2ヶ月後の現在+約7kgで64.8kgである。まず自分が人生初の60kg台に乗っかったことが衝撃だが、まだ偏差値50前後である。しかしながら、別に75kgとか定量的な目標は無いし、今後どうするかは気分次第である。

ただ、急に重くなってカラダもビックリしているみたいで、少しペースを抑えないと危ねえ。



  • カラダの異変

まず、血圧が上がってしまった。自炊する際、やたらと塩コショーを振り散らかしていた自分にハッとした。そこでさくせんコマンドを「塩分ひかえめ」にカーソルを合わせて、カリウム摂取を心がけることにした。

次に、筋トレと直接関係無いかもしれないのだが、3月下旬に肺に穴が空いた。ハンパねえ。
コーヒードリップしてたら急に左胸が痛くなって、「心臓ヤッたかもな〜まぁいっか〜」と3日ほど放置してみても違和感が拭えず、福岡旅行のフライト直前に医者にかかったところ、肺に穴が確認できた。心臓病かと思っていたのでマジで安心した。

痛み止めをもらうに留まり、そのあと福岡で死ぬほど歩いて食い倒れてしてたら、急に痛みは引いた。
肺に穴が空いた時は福岡に行けば治るという教訓を得た。


  • 最後にツール紹介

・FatSecret「FatSecretのカロリーカウンター」
https://appsto.re/jp/4XzSu.i

つおいアプリ!







finish
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