these foolish things

Prejudice and Fiction

心と住民票は東京都

※全編フィクション

 

まず事実を書くが、2024年2月22日(木)10時30分に内示を受け、2024年4月1日(月)から岡山県岡山市へ転勤が決まった。2020年10月1日(木)から3年半住み続けた東京都中野区から離れることになった。職務は変わらん。昇格はする。

 

事実はただそれだけである。

 

次に背景を。

 

勤務先の中期経営計画(2024-2026)がスタートするにあたり、大規模な組織改編が行なわれ営業組織における担当制の仕組みが変わった。どういうことかというと、「全国に拠点を置く企業Xを担当してくださいね」ではなく「エリアAに属する企業群を担当してくださいね」ということになった。

 

したがって、一都三県には地域型総合職がそのまま割り当てられ、東京勤務の全国型総合職は10人から1人になった。結果として東京偏重型の人員配置バランスが全国に均された。トンボ掛けだ。効率性を突き詰めたらまあこうなるわな。

 

会社としては中期経営計画を粛々と遂行するために、全国型総合職を賃金と福利厚生、昇進速度で釣っている。同じ6年目でも全国型と地域型とで実質4Mほどの賃金格差があるとのことだ。

 

ここで記載した背景は私の近視眼的な捉え方であって、もっと大きな得体のしれない潮流があるものと見ている。

 

 

ここから私の解釈を書く。文に昇華して気を紛らわせるカタルシス的な意味合いが強い。

 

サラリーマンはたいへんや。

2017年12月に付き合ってから5年経ってさ、入籍だの同居だのしてさ、お互い全国型やし3年くらい経ったらむごい人事異動発令されて別居婚やろね、まあ別居婚も長い目で見たらええやんええやーん、とりあえずもうすぐで同居し始めて1年やな、もう飽きてきたわなガハハw、さすがにまだ異動はないやろな、てかこないだの人事面接で異動はないって言われてるし大丈夫やわ、とか言うてたら1年で異動やねんもん。カ〜〜〜〜〜〜ッ!!!!! ペッ!!!!!

 

ただこの1年を振り返ると、妻の平日の過ごし方は家庭などお構い無しだった。通常運転で月8回は社内飲み、それゆえ帰宅時間は日を跨ぐ。飲み会のない日は残業残業これまた残業で、帰宅時間は21時以降。平日の行動を悪く思ってか休みの日に作り置きをしてくれようとはしていたものの、得てしてキッチン内では不機嫌なので自分がやったほうがマシだった。カウンター越しで弟子を雑に扱うメシ屋ってなんなんやろな、の気持ちと同じである。料理の基本は笑顔です。"さしすせそ"の前がある。

 

要するに、平日はひとり暮らしの延長に過ぎなかったのである。ただそれが残念だったかと言えばそうでもなく、平日の夫婦生活に対する期待値を下げることで平穏を保っていられた。そもそも日々は凪であり、期待などするもんじゃないのだ。僕の葡萄はいつだって酸っぱい。

 

翻って、夫婦生活は土日祝で潤っていた事を再認識した。お互い好き勝手に自分の時間は過ごし、気が合えば一緒に行動する。その僅かなふたりの時間が積み重なり、美化された思い出になり、また遊ぼかという気持ちに転ずる。美化できること、事実の負の側面を捨て去り笑って捉えられること、これは収入や容姿に先立つ大切な能力であり、なんせ気を病まずにいられる。どういうわけかこの特性が自分にも妻にも備わっているようで、縁の繋ぎ目になっているのかもしれない(美化)。しかしまあネイルだのまつ毛だのはいい加減飽きて早くSP500積立にファンドシフトしてほしい。

 

さてもう妻のセクションは終わりである。せいせいするわ。

 

厄介なのが友達の存在である。どうにも気持ちの整理がつかない。あひみての〜 である。

本、服、音楽、映画、香水といった類の趣味は内向きにひとりで楽しむのが好きである。ただ、銭湯、登山、飲酒、散歩といった趣味はひとりも良いしそれ自体も楽しいものだが、なによりそこに付随する友達との会話があってこそである。

むしろ、内向きな趣味を楽しめるのは友達がいるからである。4月から友達と距離が開いてしまうことを考えると、内向きな趣味にすら没頭できなくなる不安が生じる。「僕は今なんのためにワンピースを読んでいるのか?」というふうに。

やはり社会生活の基本は 貴様に伝えたい 俺のこの気持ちを である。貴様が俺の上位規定である。ひとり遊びはひとり遊びじゃない。意味は外側にある。こう思えるようになったのも貴様のおかげであり、過去の俺は内側にばかり意味を探していた。成人してからの変化もあるものだなと感慨深くさえある。

 

そんな友達と距離が離れてしまう。

「金晩銭湯な、19時退勤よろ」「明日なにしてんの」「あそぼー」の会話がなくなる。「1ヶ月後の土日は何をされていますか」と恐る恐るお尋ねさせていただく丁寧さ、そこからお互いに自覚する心理的な距離、そうして今の関係性が変わっていく。現状維持バイアスにヤられちゃってンだわな。必要以上に不利益に目を向けてしまっている。しかも自分は特にそのバイアスに囚われがちで、こうして外的要因でも現れない限り千代に八千代に苔の生すまでここにおるってなタチである。だから、どうしようも気持ちの整理がつかない。

 

ただウダウダ言ったって仕方ないので、開き直るほかない。サラリーマンであろうとする意思を積極的に自分が持ち続ける限り、その構造主義めいたものを受容するしかない。し、そもそも自分の自由意思など社会に縛られた仮初のものでしかない。虚ろである。祇園精舎の鐘ゴーン。

その環境下で、精一杯適応機制を操るのである。これから自分にできることは、自分の世界に没入すること、岡山を好きになること、友達に会うために汗をかくこと、こうやって時間を巻くしかない。

 

過ぎた匂いは芳しい

長岡亮介は愛だとか恋だとかの人を対象とした詩を書かない。2曲を例外として。その球数の少なさがかえってリスナーを心酔させ、加えて歌詞が公開されていないところも口頭伝承っぽくて、自分にとってのコーランとなっている。

椎名林檎が自分の前を歩いていたこともあり歌詞というものに否定的(インスト至上主義)で、これまで歌詞が持つ意味を考えずに生きてきたが、自分のそのありあまるひねくれ方にさいきん参っている。もっと歌詞に目を向けていればもっと色鮮やかに生きてこられたはずなんだわ。

岡山生活はそんな自分を顧みて、好きな詩の写経から始めていきたい。

 

 

手に負えないね

 

年末といえば硬貨貯金の決算が個人的な一大イベントである。

キャッシュレス化が進み現金を使用する機会が減りつつあるものの、新中野武蔵家に代表されるような古きを良しとするお店においては依然として現金決済が求められる。

現金決済が求められる場合、基本的には紙幣を使用して、お釣りの硬貨は自宅の貯金皿にプールするのがマイスタイルである。年末にはそのお皿を預金口座にひっくり返して紙幣に戻し、幾分かリッチな気持ちを味わうのである。

 

今年の決算は従来と一味違った。来年の自分への備忘録として記しておきたい。

 

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激震である。脳が震えた。

大手銀行が軒並み硬貨入金に手数料を課すようになったのである。たとえば、窓口で1円玉を1000枚預けようとすると手数料が1100円発生する。並のルールではない。

それならATMでのセルフ作業ならお手数もおかけしないのだからお手数料も発生しないのではないか。半分正解であった。平日ならたしかに無料でATMを通じて預入できるようだが、平日は働いているので無理だ。また、大量の硬貨預入を控えるよう硬貨入金口のうえにラミネートされた紙が丁寧に貼られているケースが多い。通報されかねない。

したがって、銀行での硬貨入金は実質不可能という調査結果を得た。

 

納得いかないので足と頭を使った。

縁のないパチンコ屋、火の中、森の中、幡ヶ谷商店街、サンデーベイクショップ。普段フォーカスしない箇所に目をやりながらのお散歩は楽しいもので、いつもの町の景色が変わる。

 

そこで見つけたのは幡ヶ谷駅PASMOチャージ機である。漏斗式の硬貨投入口、モバイルPASMO対応のチャージ口、預金ではなく電子マネーでいいやという諦念、諸々が揃った。


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こういう不審な行為をしている最中はキョドってはいけないので淡々とこなしていった。しかし、チャージ機が詰まり、エラー音が響き、情けなくも普通にキョドってしまった。駅員が突然壁越しに現れて然るべき措置を施してくれた後、空気の重さに耐えかねて場を離れざるを得なくなった。

 

ちょうど次の予定の待ち合わせ場所が丸の内だったので、約束の時間まで丸の内周辺のPASMOチャージ機を片っ端から探し、ようやく見つけ出した。新丸ビルB1直結のチャージ機である。

自分の足で探してみて気づいたのだが、モバイルPASMO対応のチャージ機は本当に少ない。ほとんどのチャージ機は物理カード対応であり、わずかに存在するモバイルPASMO対応のチャージ機もほとんど紙幣入金のみ対応で硬貨入金は非対応なのである。モバイルPASMOに硬貨入金するバカなどいないので当然ではある。

 

結果、4万円ほど硬貨貯金ができていたようで、年末の私はたいへん気分が良い。このままサンデーベイクショップに行こうと思う。