these foolish things

Prejudice and Fiction

払った犠牲を競うの止めよう

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タイトルは、東京事変の解散に先立って奏でられた『三十二歳の別れ』の歌詞の一部です。ちなみに次に繋がる言葉は、「情けなくなる」。

 

「不幸自慢なんて止そうよ」、そうやってリバーブの効いた音で言われたら、文字通り心身に響いてしまいませんか。しまいますよね。ほい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸自慢します。

 

もう治りましたが、

先週1週間、左耳が聞こえなくなりました。

 

 

 

基本、暇なんですね僕。授業中もAirDropで赤の他人に画像送信してゲラゲラ笑ってるくらい暇なんですよね。野性爆弾の画像を送ると必ずどこかから笑い声が聞こえるので本当に楽しいです。生業にしたい。

 

そんな僕に、1週間まとまった予定がドーンと舞い降りたんです。決してダルい予定ではなく、かなり楽しい予定だったんですけど。実際に楽しく1週間が過ぎ、体力がどうとか全然気にならなかったんですよね。ゾーンに入ってたわけです。けど、実は疲れてたみたいでして。

 

そうして楽しい1週間が過ぎ、アラーム(宇多田ヒカルのAUTOMATIC:すなわち最初のスクラッチ音で目を覚まし、「7回目のベルで受話器を取った君」の「な」で切りますよね、唇から自然にメロディこぼれ落ちません)で目を覚ましたところですね、左耳がもう3割くらいしか聞こえないわけです。

 

こんなの初めて!ってなりまして、まあ人生の詰みまで想像してしまいました。このまま音のない世界で生きていくのかしら?音楽好きなのにヤベくね?参った参った。

「左耳 聞こえない」とGOOGLE先生に尋ねても、「突発性難聴 回復率30%」と言われもう辛いのなんの。ヘラヘラ笑うことでしか体裁を保てませんでしたよね。笑う門には福来るのかな、みたいな微かな希望を携えて。

 

 

そうして片耳で三品さんの授業だけは聞いて、病院に駆け込みました。

聴力検査ということで、いかついヘッドホンから骨伝導ヘッドホンまで使って、己の耳のバグを調べてもらったところ、まあ堂本剛くんが見舞われた「突発性難聴」ほどではないけど「難聴」ですよね経過見ましょうリッスントゥマイハート ルッキンフォーユアドリーム。病名がわかることで安心するってよく考えてみたら滑稽ですが、まあお医者さんには治療の役割だけじゃなくて、不安を取り除く役割もあるんだな、なんてちょっと教科書みたいなこと考えたりして、1週間のスタートです。

 

 

 

薬づけの1週間でした。薬って自分で飲むのやめる判断しちゃダメなんですってね、処方された分を全部飲まなきゃなんですね。健康体で薬を飲む機会が無いので、薬リテラシーがあまりに欠如していました。

バイト先の社員にも事情を説明したら、私もなったことあるって人が意外にいて、救われた気分になりながらも救われてはなくて。けどやっぱり慣れの部分もあって、こういう聞こえ方でも生きていけるやん、くらいに開き直っていました。

 

 

そして薬が尽きてきた6日目の夜あたりから、治るんじゃねコレってくらいの期待が持てるような調子になり。

薬が尽きて、再度病院に行くと、聴力がまあまあ回復したデータを見ることができました。意外とあっけなかった。オチとしては全然面白くないけど、よかった。

 

 

 

不幸自慢は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやはり、不幸自慢を慢性的に垂れ流すのは美しくない。

情けなくなる。

 

 

 

 

finish

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所詮、人間

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 テスト前なので部屋を片付ける、この順接関係に違和感を覚えなくなって久しい。 この冒頭で書き始めるのも久しい。久々のブログ更新である。

 

タイトルはDaftPunkのHumanAfterAllを聴いていたからです。

 

 

 

とにかく早く綴りたいことがある。

早く言いたいのはRGだけじゃないのである。

早く綴りたいが、肩の力を抜いて、ここで一句。

 

 

 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
    雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

 

意訳

      痒くね?

 

 現代語訳

巡り逢ひて(これちょっと引っかかるなあ)
見しやそれとも(え こういうことちゃうん)
わかぬ間に(いやちゃいますやん)
雲隠れにし(じゃあわかんね)
夜半の月かな(夜半の月やな)

 

 

 

だいたいこんな感じです。

この一句、非常に趣深くないですか。

おまえ今の今まで秒単位で既読つけてたのになんやねん、10時34分と10時35分の間に何があってんもう23時52分やぞなんで既読つかへんねんもうひとりで明日ユニバ行くわ!!!くらいの痒さが伝わってきます。中世貴族も現代のLINE貴族と同じような痒さを経験していたと思うと感極まってしまいますね。ユニバひとりで行くのは可哀想すぎやろ。

 

 

 

もうちょっとあなたのことを識りたいのにめっちゃ夜半の月やん。

もうちょっと納得できる言葉あるはずやのにめっちゃ夜半の月やん。

もうちょっと押したいけど引かせるとかめっちゃ夜半の月やん。

 

 

このように生活の至る所に「夜半の月」はあるように思えます。いつも自分の中で納得いく形にまで落とし込めない、サムシングモヤモヤが。

 

 

 

 

そんなモヤモヤが、今現在、私には1つあります。その1つが、私の早く綴りたいことです。綴ることで何か納得できたらな、と思います。

 

 

では、今から綴るよ〜

 

 

 

 

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  1. コンプレックスの作用 

 結論から記すと、コンプレックスは人をダメにするね、っていうだけの話。

 夏休みくらいからコンプレックスの作用についてひとりで考えていました。そこで出た結論としては、コンプレックスがプラスに働く人というのは本当に限られているんじゃないか、ということ。例えばクリエイター気質の人。劣ることや欠けていることに対して自身が敏感だから、それだけの痛みが反映された繊細な表現ができる。だからプラス。

 

けれど自分に興味があったのは、そういうコンプレックスのプラス側面じゃなくてマイナス側面であって…。

 

 わかりやすい例を挙げると、自分の考えには学歴ロンダリングが当てはまる。

 ネームバリューある大学に入れなかったからネームバリューある大学院に進もう、っていう考え方そのものは上昇志向云々で一見すると美しいかもしれないけど、裏目的には'見返してやろう'とか'自分をより大きく見せてやろう'っていう意識があるはずじゃろう。仮に肩書き上のコンプレックスがクリアできたとしても、クリアするまでに考えて感じていた脳みその部分はデリートできないし、仮に優れた肩書きを得たとしても、やっぱりなんだか実が無いし、なにより当の本人が一番その違和感を分かっているはず。得た先の心の満足が長続きしない。

 

 コンプレックスをガソリンに、コンプレックスの肩書きを吹き飛ばす。貧しい。

 コンプレックスなんて生きてる限り誰にだってあるし、ほとんどのコンプレックスなんて無くせないけど、それをエンジンにして生きると芯から捻くれた人になってしまう気がします。どうコンプレックスを無視するかとか、どうコンプレックスをそのまま受け容れるかとか、そういう考え方の方が美しくないですか。置かれた場所で咲きなさい、と最近亡くなったシスターも説き続けていたくらいですから。

 

 

 負けず嫌い、という言葉がありますが、自分はこの言葉に違和感を覚えます。そもそも勝負した時点で負けだと思うからです。自分の勝負のスタート地点をどこに置くかは人に依りますが。人に負けるとそりゃ誰だって悔しいけれど、誰だって悔しい思いはしたくない。なら勝負をするべきではない。孫子だって負けるくらいなら逃げろと言ってます。

 

 だから、自分の土俵は自分で構えた方が心身ともに健全なんだなあ、と自戒の念も込めて綴っておこうと思いました。

 

 

 あと、「自慢」について付随的に一言。

 思うに自慢というのはコンプレックスと表裏一体なもので、自分が隠したいコンプレックスは自慢の内容を辿ることでモロバレしてしまいます。無修正です。

 

 何をガソリンに動くか、と考えた際に、「好きだから」「したいから」「楽しいから」「隣の人といたいから」etc...とジブリのヒロインばりに高純度なガソリンで動けることがいかに尊いことなのか身に染みて感じています。「金銭的欲求」「承認欲求」は賤しいように思えますが、それは仕方のないことと目を瞑っておきます。お金がなければ生きられないし、周りに人がいなければ寂しい。

 一方で、エンジンを動かすに当たって、人と比べてどうかという指標のガソリンが最も燃費が悪いと思います。いつまで経っても原付です。カブはすごいけど。

 

 地に足つけて、栄枯盛衰を受け止めて、もう少しちゃんとした考え方ができればな、とせちに願うテスト前でした。伊藤園は偉い...。

 

 

 

 

finish

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すべてを曝け出した私



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どういうわけか、昨年末からなにかとすべてを曝け出す社会現象が起きている。私はここで健康診断の結果を曝け出してしまったが、お気付きだろうか……

「「2年で約12kg増」」


少しばかりかデカくなってしまった私である。


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  • 長年の違和感

昔から私は本当にい。本当に私はくてい。母親からの遺伝もあって、身長に関しては割と恵まれているのだが、そのぶんタテヨコ比がイビツである。「パワポにコピペした画像を縦に伸ばした感じか!」て感じである。


しかしながら-正当化の一種だろうか-「細い」という点を「モデル体型」とか気味の良い言葉で解釈して、「キモい」という事実から逃げていた。 ここに自分の違和感があり、この違和感と共に思春期は過ぎていったのである。

53kg/177cmなんて誰がどう見てもキモいじゃないか!


  • 綺麗に着たい

男たるものYシャツをしっかり着こなしたいものである。今はまだ週2のアルバイトでしか着ないが、あと2年もしたらYシャツと同化するような生活を強いられるかもしれない。
そうなった時、果たしてしっかり着こなせるのか

そこで何をするにも腰が重い私、鍛えねばならんのおと思いました。



  • 環境の選択

鍛えねばならんのお」と現状を頭で理解しても、継続するためのやる気と言いますか、ある種の費用対効果と言いますか、ある種の限界効用逓減と言いますか、ある種の流通経済の闇と言いますか。私達は環境の子なので、どこに身を置くかで行動はおおよそ決まってしまう。すなわち最初が肝心!


鍛える⇒ジム行く」
この論理に縛られていたため、まずは採算の取れる近所のジムをブラッシュアップしていくことから始まった。しかしながら、調べれば調べるほど「サウナ施設完備!」とか「初回2ヶ月実質無料!」とかいうバイトが考えたようなくだらねえ宣伝文句に踊らされて、結局どうすればいいかわからなくなって爆発してしまった。

いったん爆発してみると、視界がクリア的なそんなふうな感じになって、近視眼っぷりに気付けた。



  • 外部環境-「ジム行かなくて良くね?」

私は9と4分の3番線に繋がる陸の孤島こと「住吉寮」に巣食っている。当寮には簡易的なジムが備わっていて、24/7利用可能である。誰がどう考えても税金の使い方としては間違っているが、隣国から飛んで来たミサイルを打ち返せるようになるまで私が鍛えればプラマイゼロである。

ノブレスオブリージュ! ということで、血税に込められた想いを胸に寮のジムで鍛えることにした。簡易的とは言えどちゃんと使えるし、何よりタダってだけで満足度爆上げである。

「お金払ってるからジム行かないと…」っていう罪悪感に耐え切れず辞めてしまうのも辛いし、何より「シャツをキレイに着たい」というモチベーションが「カネ」ゆえにブレるのは良くない。



  • 内部環境-「食べても肥えない?」

鍛えるための外部環境はまあ整った。
しかし、「筋肉増量には食事が大きく関わっている〜」という歌詞の民謡もあるくらいだから、筋肉増量には食事が大きく関わっているのである。

ここで、昔からめちゃよく食べるのに全然肥えない私はどうしたものかと考えていると、「めちゃよく食べる」というのは感覚的で、客観的にはそんな食べていないのかもしれない、そんな疑問が生じた。そんなこんなで死ぬほど眉唾モンだったが、とりあえず栄養素計算をして「見える化」してみた。

すると、栄養素計算のために食生活を変えるというバカ丸出しながらも効果バツグンな心理ベクトルが生まれた。それまでほぼ100%外食だった食生活がガラッと自炊生活に変わって、増量のための高タンパク高カロリーを達成すべく鶏胸肉を毎日摂取するようになった。ゲーム感覚ってのが良いんだな。

バカなので、海外からプロテインサプリメントなんかも輸入しちゃって、適量を日々摂取するようになった。



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  • 開始から2ヶ月

トレーニング開始は2/22/2017だったが、およそ2ヶ月後の現在+約7kgで64.8kgである。まず自分が人生初の60kg台に乗っかったことが衝撃だが、まだ偏差値50前後である。しかしながら、別に75kgとか定量的な目標は無いし、今後どうするかは気分次第である。

ただ、急に重くなってカラダもビックリしているみたいで、少しペースを抑えないと危ねえ。



  • カラダの異変

まず、血圧が上がってしまった。自炊する際、やたらと塩コショーを振り散らかしていた自分にハッとした。そこでさくせんコマンドを「塩分ひかえめ」にカーソルを合わせて、カリウム摂取を心がけることにした。

次に、筋トレと直接関係無いかもしれないのだが、3月下旬に肺に穴が空いた。ハンパねえ。
コーヒードリップしてたら急に左胸が痛くなって、「心臓ヤッたかもな〜まぁいっか〜」と3日ほど放置してみても違和感が拭えず、福岡旅行のフライト直前に医者にかかったところ、肺に穴が確認できた。心臓病かと思っていたのでマジで安心した。

痛み止めをもらうに留まり、そのあと福岡で死ぬほど歩いて食い倒れてしてたら、急に痛みは引いた。
肺に穴が空いた時は福岡に行けば治るという教訓を得た。


  • 最後にツール紹介

・FatSecret「FatSecretのカロリーカウンター」
https://appsto.re/jp/4XzSu.i

つおいアプリ!







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火傷を赦す


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下宿している御影には「日本一」がある。





それは、



日本一の王将である。




Google検索窓の具合はこうだ。
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なるほど、御影王将はSEOを司っている。









下宿するまで、僕にとっての王将は、

  • 京都の宝ヶ池にある王将にオードリー春日激似のアルバイトがいて「トゥース!!!」と思わず絡んでしまった過去や、
  • 終電で北大路に帰り王将でシメた高校の同窓会や、
  • 家族でわざわざ餃子を買いに行ったことや、
  • 性と犯罪の町こと"山科"にて、王将の社長が何者かに銃殺された事件など…

なにかとメルヘンな思い出で占められている。







一方、下宿を始めてからの僕にとっての王将は、

  • やすい
  • はやい
  • うまい
  • あちい

と、大好きな形容詞をオールカバーしてくれる優秀なゴハン屋となっている。







どっちにしろ王将は生活の傍にある良いお店だ。













さて、御影王将についてだが、
「なんぜ日本一なん?」という疑問がある。

六甲王将には、神戸大学アメフト部RAVENSの冠をつけたレイバンズセットなるものがあり、「天津飯大+コロッケ2ヶ+餃子2人前」で1080円の市場経済大崩壊のメニューがある。それを超えられるのか、とよく思う。



回答としては、「餃子が違う」らしい。
たしかに他の店にはない"味噌ダレ"が置いてあって、なかなかに美味しい。いかにも秘伝という雰囲気の壺に味噌ダレがヒタヒタに入っていて、それがなかなかに美味しい。なかなかに美味しい。


しかしながら!? え!? それだけで日本一なん!? ん〜〜〜!?
と、ちょっと一回大きい声を出したくなる。
差別化にしてはチョロくない!?


実際に御影2年目の僕は何度も通って、天津飯やら回鍋肉やら酢豚やらニラレバやら焼飯やら餃子やら、いろいろ食べた。2日連続王将とか全然した。

日本一、なのか?

やはりこう思ってしまう、、、












そして今日もマイブームの酢豚を目当てに王将に行き、中華鍋をブンブン振り回す店長の背中を前に、店の動きを気にしていた。すると、


(早い、、、、、、この早さ、、、、もしかすると日本一なのか、、、、、、そういうことでいいのか、、、、、、、、、、、なるほどですね、、、、、)


日本一を思わせるスピードがあることに気付いた。全ての調理員が自分の手元をほとんど見ていない。見ているのは次のオーダーや客の動きなどで、店長なんか中華鍋ブンブンおたまカンカン片栗粉ピチャピチャで半ばスポーツである。

そして、チェスばりにハッキリした分業制。店長はとにかく炒めて、おっさん①はとにかく餃子焼いて、おっさん②はとにかく揚げまくって、おっさん③は洗いまくる。来年度から経営管理の授業は御影王将でやって欲しい。分業制のなんたるかがわかる。全員手際が凄すぎてAI(人工知能)の敗北を悟るまである。





そんなキッチンで調理される僕の酢豚は
「スブタイーナーホ!!!」
の合図から30秒で提供された。インスタントすぎる。味は普通にうまい。そして中華鍋そのままくらい熱い。680円、ごちそうさまでした。帰宅して感じるのは、満腹と舌先の火傷である。御影王将、良きもの。





餃子の王将 御影店
https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/hyogo/A2801/A280106/28009407/top_amp/










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思ひ出



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  • 21歳の成人式







これはいわゆる孤独というやつだ〜〜〜 世間一般に言う孤独というやつだ〜〜〜 白湯が沁みる〜〜〜 ワ〜〜〜








久しぶりに孤独を感じたのはそう、成人式。

私は浪人を経験しているので、まわりの友達よりも先に成人式を経た。その代わり、まわりの友達が成人式を楽しんでいる間、家で白湯が沁みていたのは私だよ。


















  • 領収書


試験期間なので部屋の整理をする、この順接関係に違和感を覚えなくなって久しい。

今日は引き出しの整理をしている。机に付属している引き出しを整理している。机に付属している引き出しの1番上のペンとか入れがちなところを整理している。机に付属している引き出しの1番上の引き出しは1番上ということもあってか何かといろいろ入れがちであり、そこを整理している。

物の詰まり方からして3次元を疑ってしまう。









そんなこんなで整理していると、去年卒業した自動車教習所に支払った¥232560の領収証が出てきた。

親の意向でその大金は自腹で払わされたのだが、「自腹に決まってんじゃんw」と親にヘラヘラ告げられた時のショックは忘るまじ。やはり物理法則と親の意向だけは変えられない。今でこそ「自腹が当たり前でしょ」と、あたかも親の立場に転じたような考えを持てるようになったが、当時は親の仇を打つような目で親を睨んでいた。






この一件について感服したのが、親の20年かかって築きあげた「自腹で払わせ策」である。


自腹といっても20歳になるまで私は多方面からお年玉を頂戴し、そのネオパトロンの一員として両親は「笑顔」でお年玉をくれていた。その点で「教習所代金は自腹よ」と言うのには気がひけまくりだが、んなこと今はどうだって良い。少年の私は、ちょこちょこ使用しては貯金しての繰り返しで、「貯金は大事なんだなあ」「この貯めたお金が家とか買う礎石になるんだなあ」と身を以て理解していった。そして、年齢を重ねるにつれ額も増え、お年玉最終年度として額もピークを迎えたハタチにて!













親からもらったお年玉で!?まさか!?教習所代を!? ピエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 貯金は大切ってことを!? こうやって教える!? 孔子超えてきたでオイ〜〜〜〜〜〜













である。親は20年かけて私に「お年玉」の仮面を被った教習所代をくれていたのだ。どう考えても親はやはり偉大である。子供を育てるのは大変だ。






finish
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21世紀宇宙の子ならではの悩み

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21世紀宇宙の子

21世紀宇宙の子

正直この曲そんな好きじゃないけど事変なのでアリ




小野ほりでいを筆頭にSNSバカを体系化してくれるライターを見ては感心している、なんだかそれだけでは悶々としてすまったのです(津軽)


SNSについて書いてしまうこと自体、近視眼ぶりがバレてしまう感触がして恥ずかしいやら気持ち悪いやらで気がひけるのだが…。










けれども!

わざわざ綴ることにはやはり意図がある。生活を送る上で看過できなくなったSNSの嫌な側面は誰もが感じているはずだが、それを整理できているかと言えばそうではない。なんなら自分自身もそうである。

だからこそ(自分の首を絞めかねないのだが)私がプロ倫ばりに深めの楔を打ち込んでやろうオラオラという魂胆である。ごめんなさいウェーバーそんないいモンじゃあないんだよ。



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あとやっぱ、個人がある思いを持って綴ることがメディア産業への処方箋にもなるんじゃないかと恐縮ながら思っている。

SNS 嫌」と検索窓に放り込んで、味のない金太郎飴みたいな低質まとめサイトを ウソまだ3ページ!?8ページもあんの!? とか思いながら無意識にそして受動的にポチポチしてしまう。そして広告料の発生を支援する形で無駄に経済をかき回してしまう。広告料こそが低品質高価格文化を作り出しているけど、マーケティング的には消費者認知度UPが云々で広告最高サイバーエージェント電通ウハウハとか、とにかく今のメディア産業は何かにされているとしか思えない日本死ね。けど壊せない。

ちなみにこの話はおもしろいよ!

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ではまず、自分のSNSに対する大前提のスタンスを控えておこう。話はそれからだ。




大前提:Twitterはマジで単なるつぶやきでしかない





本来つぶやきはひとりでするものだが、つぶやきに「社会性」とかいう価値を与えて「ツイート」にしたTwitter社はなんだかすごすぎる。パンにジャムつけるくらいの付加価値しか普通思いつかなくない?すごすぎる。しかしながら、ツイートはあくまで単なる個人のつぶやきであるというスタンスからすると、ツイートの社会性を否定できる。自分はあくまでこのスタンスを保持したいと考えている。


(でも「いいね」が押されると嬉しい。とても悔しい。)


だから他人のツイートにいちゃもんをつけること自体、この記事全体の自己否定なのである。そんなグラグラの足場でこの記事を書くのは、他人のツイートが単なるつぶやきとして見るにはあまりに社会を巻き込みすぎているように感じるからである。













ではやっと本題である。
SNS、てかTwitterの嫌な側面をPickUpしていく。以下、「好き」で語れる人間でありたいという希望はひとまず置いといて、「嫌い」で語ることを以て全力で他人の揚げ足をとっていこうと思う。性格の悪みがすごい。





  • 自慢マン

他人からチヤホヤされたい欲が昂ぶって自分のピカピカ功績を自慢してしまうマンは、暗に自分が他人の不安を煽りたい欲に蝕まれていることに気づいていないがち。

  • エセ啓蒙活動マン

こちらは自慢マン・改である。完全に他人の不安を煽ってやろうという邪悪な意思を持っている。本来の啓蒙の姿とは全く異なり、自分のカリスマスキル育成のためだけに格差見せつけがち。

  • 彼氏(彼女)見せつけマン

単に"報告"という形でなら微笑ましくて良い。けれど、報告が過ぎるアベック多くね? 目的が別にあるならそれはそれは結構なことだけども、〇〇君じゃなくて"彼氏"という概念を持っている「自分」に酔ってたり、かっこいい〇〇君に選ばれた「自分」のかわいさをひけらかしたりしてるだけじゃないのか。2人の世界を過剰に他人と共有することに違和感を覚えないがち。2人の世界は2人で十分に楽しめるはずなのになんて傲慢なんだ。ゆるさんぞ

  • 意味深マン

日本語は主語や目的語が抜けても文意が通る美しい言語だと思うが、それを巧みに操ったつもりか、誰に何を言っているのか不明瞭な愚痴を垂れ流すならず者がいる。だいたいそういう人は愚痴をこぼせるような友達がいないからTLに垂れ流してしまうのかなと見ている。また、やんわり察してほしいからという理由で意味深ツイートを並べる人は、もちろん友達が少ないし単純に意気地なしがち。

  • しんどいマン

疲れたつらい寝てない飲み過ぎた潰れた吐いた等、なんだか本当にしんどそうな人がいる。しかしながら、「しんどいのは本当におつかれさまです、でもそれは自分が大きな見返りを望んだ結果として選んだ道、もしくは自己管理能力の甘さに起因するもんなんだから我慢するしかないね。嫌なら辞めれば? 自分探しの旅でもすれば? 」嫌な人にはそう告げられてもおかしくない。私は断じてそんな人でなし発言などしないが。

  • 二番煎じマン

いわゆる借り物の論理・借り物の姿勢を多用してしまう。借り物であるということを前置きにしさえすれば良いのに、プライドが高いためかなんだかどうも突っ張って見えてしまいがち。"オリジナルであれ"ということではなく、"参照したことを隠す必要はないよ"ということである。

  • 俯瞰マン

これは私にも当てはまる。治したいので戒めとして書きたい。斜に構えすぎマンとも言えよう。何かに意気込む自分までも俯瞰してしまい、お高く論理の世界に留まってしまう。行動に移せる人を羨んでか、「どうせ」という枕詞から始まりプロセスを鑑みることなく結果至上主義を貫いたフリをする。そんなアナタのラッキーアイテムは「好き」の原動力である。「好き」なものには無心で、俯瞰なんてする暇も無く意気込めるはずだ。











目に付く不快なTwitterの側面はひとまずこれくらいだろうか。人々が我慢して言わないでおこうとしている「嫌い」を幼稚にも列挙してしまって、そしてそれを公開してしまって、申し訳なく感じてはいる。別に自分がコメンテーターになったつもりなんてさらさら無いし、綴った後に残るのは達成感より申し訳なさの方が大きいように思う。

女子大生のSNOWはまったく不快じゃないし、微笑ましいレベルに彼氏ツイートを控えているその慎ましさは美しく思えるし、何かにチャレンジできている人は羨ましいし、やはり「好き」で語ることもできるはずである。しかし善意というのは高尚なもので浸透しにくいのが難点であり、なんだかそんなことを雑記に書いてもおもしろくないな、というのがある。そのため、自分の不快だと思う像を不快なまでに列挙してしまった。やはりなんだか申し訳ない。








finish
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芯について

たかが2週間の留学に行ったくらいで揺さぶられるような価値観は御免だ。誰しも、自分の根源にある考えとか座右の銘とか、禁欲的に則って動ける指標を20歳までには内面化できているはずである。正しいかどうかは別として、「そういった指標がある」と自信を持って言えない人はやはりいろいろ難しいんじゃないか、そう思う全休の水曜日であった。






(3911字)(暇すぎ)

Love Theme from What.






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こんなことが若干21歳の人生に2度も訪れてしまったなんてにわかに信じ難いなんなんだこの世は…















10/29 00:00
大好きなグループからメンバーが脱退した。
SOIL&"PIMP"SESSIONS Victor Entertainment




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Snap Back to the Past.


2012.01.11 (高1の冬だったかしら)
東京事変が解散を発表し、
2012.02.29 (閏日)
東京事変が解散した。
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では、ここで
SOIL&"PIMP"SESSIONS ,東京事変
に向けて愛を綴っていこうとおm…




















表現手段 for 好きなもの・こと

好きなものを語りたいけど語れない、だって好きだから」という歯痒いジレンマは誰もが中高時代に経験したはずだ。自分自身、「好きなものを好きと言う」ことに抵抗は無いのだが、やはりまだ「語る」ことに違和感ないし罪悪感を覚える。


そもそも「語る」ってなんだ。他人に布教する事が目的?自分の博識ぶりに酔うことが目的?1周まわって理由など無い?


21歳の私には白黒ハッキリさせることができないのだが、未来の自分はどう考えているのだろう…






ここで、語るときの手段を考えよう。

あなたには好きなものがあるとする。それを他人に伝えたい。そのとき、あなたはどう動くか。

  1. 形容詞を並べる
  2. '知識量="好き"の度合い'範の持込
  3. 言語を捨てる⑴(芸術をする)
  4. 言語を捨てる⑵(寡黙を貫く)
  5. 嫉妬する
  6. 殉死する etc...

といったような事が思い付くのではなかろうか。


上に対応させて、その専門家を並べると

  1. poet
  2. critics
  3. artist
  4. 西野カナ
  5. man of religious

こんな具合だろうか…




この思考過程を直列に並べていたらショートしてしまうので、自分の場合はΩを挟み込んでいる。好きなものを好きと言いたい時、表現道のプロを仰ぐことで自分の至らなさを痛感してしまうので、1周回ってもう「好き」「すごい」の一言で終えてしまうのが吉なのだ、とショートカットしてやるのである。もはや公案の世界である。なんだか嬉しくなる。






ということで、
SOIL&"PIMP"SESSIONS ,東京事変
が「好き」で「すごい」のである。



あと絶賛活動中の
トロール
がもう「好き」でたまらないのである。








finish
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あとがき



私が言葉を綴っても
人にはちっとも届かぬが
書ける作家は私のように
言葉の枠から抜け出せない

こんなノリの詩歌が記憶の片隅に残っているが、やはり自分の土俵を自分で作って育てて独り相撲してやるのもいいんじゃないか、つまり他人の土俵に踏み込まなくてもいいんじゃないか、と。

けれど他人の中でしか自分は生きられない。個性をはき違えていないか、石橋を叩いて走らねばならない。



小学生の頃から見聞きしてきた教訓染みた詩歌は触れるたび印象が変わるなあ。自分も変わっているのかなあ。